嘘をつかない

承認欲求

承認欲求は面白い.

たぶん誰もが持っている欲求で,最近はとくにインターネットの人に顕著.インターネットの人は何かと自分の姿とか生活を写真に撮ってTwitterInstagramなどにあげることがある.
承認欲求だと思う.

承認欲求は難しい.

人間の根源的っぽい欲求を四字で表したもんだからなかなかに字面は単純であるがきちんと考えれば深みにはまれる.意味は一般に,「認められたい/褒められたい欲求」みたいなところで理解されていると思う.でも実際はどうなんだろう.

インターネットに自撮りをあげれば「かわいい」とか「かっこいい」とかが来ることもあれば,「ブス」みたいな心ない発言が飛んで来ることもあるはずだ.なんかオシャレっぽい暮らしを写真に撮ってあげてみてもコメントは0,どんな投稿にもいいね!って言っちゃうようないいね無価値人からのいいねが数件ある,みたいな状況はきっと多々ある.
それでもなぜか,人はめげない.常に自撮りを投稿して,常に生活を切り取っては人に見える場所に置く.

きっと承認欲求は,自分以外の他人から得られる承認によって満たされるだけのものではない.インターネットに公開する行為によって満たされている.それは,自分以外の誰も見ることができない日記帳に書くことでは満たされない欲求.不特定多数の人間が,どんな場所からも,どんな時でも見ることができる場所に「自分」を置くということ.自分自身が,自分の意識の及ばぬところで認知される可能性を持っているという状態.そしてその可能性が生む結果さえも,相手からの反応によってやっと自分の意識の下に置くことができる状態.人間は,自分の意識の及ばないものに不快感を覚えるけれど,同時にそれを定期的に感じたくなるような気がする.嫌だと思うものにちょっとだけ関わってみたくなるみたいな,怖いもの絶対見たくないと思って顔を手で覆うけど,指の隙間からつい見てしまうみたいな気持ち.

そんな承認欲求の世界では,「褒められる」だとか「認められる」だとかは付随的なもので,きっとボーナスみたいなものなんだと思う.そりゃたくさんもらえれば嬉しいけれど,なくてもちゃんとご飯食べて家住んで生活はしていけるみたいなもの.

もちろん写真に限らず生活に限らず,こうして書いている文章もまさしく承認欲求みたいなもので,僕は僕の承認欲求を全開にアピールしている.ちゃんと前部分で言い訳していて,別に褒められたいとか認められたいからこんなものを書いているわけではないけど,褒めてもらえたり認めてもらえたり(はてなスターをもらう)すると,それは普通に承認欲求ボーナスが得られるのでめちゃくちゃ嬉しい,っていうことを書いたつもりでいる.